第2章 文字と正書法

2.1 概観

高原語は、曲線でできた音素文字(アルファベット)で書きます。子音と母音を、どちらも独立した字で書きます。高原の人はこの文字を virá lísen「書かれた言葉」と呼びます。

この文字の体系には、音を表す字のほかに次のものがあります。

書記方向は左から右への横書きで、行は上から下へ進みます。一語の中では字を筆でつなげて書き、語と語のあいだは筆を離して少しあけます。目上の人、王、尊敬の au- のついた語は、行より高い位置に書きます(上げ書き。→ 2.8.1)。

綴りは保守的で、約千年前の発音を写しています。そのあとに起こった音の変化は綴りに表れないので、綴りと今の発音のあいだには決まったずれがあります(→ 2.6)。この本では、高原の文字での綴りを〈 〉に入れ、ラテン文字に置き換えて示します(〈gandera〉=gandér)。

2.2 文字の歴史

2.2.1 起こり:頭音法

文字が生まれたのは約千五百年前です。元になったのは、湖畔の都市の鋳物師が青銅器に打った刻印と、森の氏族のしるしでした。最初は「鷲」「石」「丘」「杭」のような物の絵でしたが、やがて絵は、その物を表す語の最初の音だけを表すようになりました(頭音法)。たとえば aurá「縁鷲」の絵が a の字に、món「石」の絵が m の字になりました。字の名前がいまもその語のままなのはこのためです(→ 2.3.2)。

2.2.2 いちばん古い用例

いちばん古い用例は、北の高みの納骨所の系譜碑です。字形は今より絵に近く、字は一つずつ離して刻まれています。長母音は同じ字を二つ並べて書いています。

2.2.3 綴りが固まった時期

約千年前、系譜碑と森の巫の詞が繰り返し写されるうちに、綴りが固まりました。書くことそのものは息ではありません。けれども綴りは、祖先の名を唱えた息の形を写したものとみなされました。写しを勝手に変えるのは祖先の息を偽ることになる、と考えられたのです。そのため、その後に発音が変わっても綴りは直されませんでした。次の二つの変化は、綴りに一切表れていません。

2.2.4 小灯点と鉤

約九百〜七百年前、*u と *o が後ろの i に引かれて ü になりました(→ 1.9.1)。このときも、もとの字(u・o)は書き換えませんでした。約五百年前から、写字生が「ここは i に引かれて音が変わる」という覚え書きとして、字の上に小さな点を書き添えるようになりました。これが小灯点(ilása)で、統一後に正式な綴りに組み入れられました。

2.2.5 統一後

約二百年前の統一のあと、書の司が字形を整え、都の書体と定めました。上げ書き、息せぬ弧、数字の書き方、念押しの括りの作法も、法典に書きこまれました。以後、版の木の版木に彫って刷られる字形がお手本になっています。

2.3 字の並びと名前

2.3.1 字の並び:言葉の瀬

字は lóur virés「言葉の瀬」という唱え歌の順に並べて覚えます。子どもは字を、天から地へ下りていく順に唱えます。

ü は唱え歌ができたあとに生まれた字なので、歌に入っていません。これを「外れ字」と呼びます。2.5 の字の一覧は唱え歌の順に並べ、外れ字の ü は u の次に置いています。

2.3.2 字の名前と古語

字の名前は、文字ができたころ(約千五百年前)の古高原語の語です。今の言葉では別の語に替わったものもあり、字の名前の中にだけ古い語が残っています。

字の名前 意味 今の言葉
úlven 狼 dráun
pélan 柱の木 lóna
rómba 滝 duló
ném 湖 véinor

今の ném は「私」と同じ音ですが、字の名前では湖の意味で呼びます。頭音法で字の値が決まったあとは、名前の語が古びても字の値は変わりませんでした。数字の名前は、今の数詞で呼びます。

2.4 書記方向と字の姿

2.5 字の一覧

音を表す字26(うち外れ字の ü を含む)と、尊敬の接頭辞だけに使う結び字 áuren、数字、略字と焼印のしるし、補助記号をまとめて挙げます。字形の説明は、都の書体(→ 2.12.2)によるものです。

名前 値 字 字形
aurá(縁鷲) a 小さな丸い輪から、右上へ長い尾が反り上がる。ひらがなの「の」を小さく書いて、最後をぐっと跳ね上げたような形。風に乗って昇る鷲を表す。唱え歌の最初の字
ilána(灯) i 線から立ち上がる短い弧で、伏せた釣り針のように少し右へ曲がる。その上に、離して小さな点(灯)を一つ打つ。ローマ字の i にそっくりだが、軸がゆるく曲がっている
órun(日の出) o 線の上に短い横の弧(地平線)を引き、その上に上半分だけの円をのせる。絵本に描かれる日の出のような形
elþá(火) e 涙のしずくを逆さにした形で、下が丸くふくらみ、上がとがる。とがった先は右上へひとひねりする。炎の絵文字に似ている
selvá(息) s 中心から一筆で小さく巻いた渦が、右上へ煙のようにほどけて流れる。数字の 6 を左右反転し、上の端をなびかせた形
virá(言葉) v 横に寝た S 字が二つ連なった波で、右の端だけ上へ跳ねる。チルダ(〜)を二つつないで、最後を上げた形。b の字(báron)とはまったく似ていない
kálen(鈴) k 上に短い横の弧(吊り手)を書き、その下に釣鐘の形の輪をぶら下げる。輪の真下に小さな点(鈴の玉)を一つ打つ
wér(風) w 右へ長く流れる細い一本の曲線で、途中で一度だけふわりと上へふくらむ。凧の糸か、たなびく煙のように見える
yéda(雪) y 線の少し上に小さな輪を書き、その下から短いひげを三本、線の下まで垂らす。クラゲのように見える。下へ沈む『重い字』の一つ
šául(ふくろう) š 小さな輪を二つ横にくっつけ(∞ の形の目)、その上に小さな山形の弧(耳)を一つかぶせる。メガネか、∞ の上に ^ をのせたように見える
zízi(羽音) z 小さく三回、上下に震える細い波線で、行の線より少し上に浮かせて書く。ぎざぎざではなく、丸い震え。使われることの少ない字
hárel(大鹿) h 線から高く立ち上がる一本の茎が、てっぺんで二股に分かれ、それぞれ外側へくるりと巻く(角)。先の巻いた Y か、音叉のように見える
úlven(狼) u 下に二つの谷をもつ波で、ギリシア文字の ω に似ている。左右の端は、上で外向きに小さく巻く(狼の耳)。焼印の『狼の谷のしるし』と同じ源をもつ
úlven ilánes(灯つきの狼) ü u の字(ω の形)の真上に、小灯点を一つ打つ。語によっては、o の字(日の出)の上に点を打ったものも ü と読む。唱え歌に入らない『外れ字』。約五百年より古い碑には点がない
añél(蜜蜂) ñ 縦長の小さな楕円(蜂の体)の右肩から、上向きの短い弧を二本、羽のように出す。名前の頭ではなく、語の中にこの音がある数少ない字
pélan(柱の木) p 行から上へ高くまっすぐ伸びる縦の線で、下の端だけが小さな輪になって線の上に座る。礎石の上に立つ柱の形。l の下に丸をつけたように見える
fóndar(源) f 行の線の少し下から湧き上がる渦巻き。中心から外へ二巻き半し、最後の線を右上へ長く伸ばす。蚊取り線香か、@ をほどいたように見える
lóur(瀬) l 右へゆったり流れる長い横の波で、最後が小さく上へ巻き上がる。r の字とは、尾が上へ巻くか下へ落ちるかだけが違う
rómba(滝) r l と同じ横の波で始まり、最後に行の線の下へすとんと落ちて、小さく跳ね返る。滝が一段落ちる形。l と見分けるには尾の向きを見る
ném(湖) n 横に広い浅いお椀(平たい ∪)で、両端が内側へ小さく巻きこむ。にこちゃんマークの口に似ている
tambór(雑穀) t 左下から右上へ反って伸びる茎が、てっぺんで右下へお辞儀するように垂れる。垂れた先に、小さな粒の輪が二つ三つつく。実った穂か、釣り竿の先の団子に見える
dún(丘) d なだらかな丸い山(∩ をつぶした形)で、右の裾が内側へ小さく巻きこむ。ひらがなの「へ」を丸くしたように見える
báron(本・幹) b 少し反った縦の幹の線の左右に、対になった小さな弧が二段ずつつく(枝の切り口)。魚の骨のように見える
þrén(段) þ 左上から右下へ三段下がっていく階段を、角を丸めて一筆で描いた形。左から右へ下る向きに書くのが決まりで、逆向きに書くと『昇る段』になって誤字とされる
món(石) m 線の上にどっしり座る、横長の平たい閉じた輪で、真ん中に横の一画(割れ目)が入る。θ を横にぺしゃんこにした形か、目玉のように見える
gandér(硬木) g 上は小さく丸まった短い横の弧。そこから行の線の下へ、深くまっすぐな縦の線が沈み、下の端がとがる(杭)。すべての字の中でいちばん深く沈み、唱え歌の最後に来る。釣り針か j に見える
áuren(昇り結び) au(尊敬の接頭辞 au- にかぎる) a の字の輪から、尾が u の字の ω 形の波へ続き、最後に右上へ高く舞い上がる結び字。尊敬の接頭辞 au- を書くときだけ使う。áura『昇る』や aurá『縁鷲』のように、もともと au で始まる語は、a と u の字をふつうにつないで書く。この結び字で始まる語は、かならず上げ書きされる
ín(一) 1 線の上に立てた細い弧が一本。立てた三日月か、丸括弧の「(」に見える。位の字の前では書かない
dáu(二) 2 立てた細い弧を二本並べる。「((」のように見える
téir(三) 3 立てた細い弧を三本並べる
fáir(四) 4 立てた細い弧を四本並べる。走り書きでは二本ずつ寄せて書く
lím(五) 5 上へ開いた深い杯(∪)。手のひらを天へ向けた形とされる
sóur(六) 6 五の杯の中に、立てた弧を一本入れる
nél(七) 7 五の杯の中に、立てた弧を二本入れる
ánþa(八) 8 五の杯の中に、立てた弧を三本入れる
réum(九) 9 五の杯の中に、立てた弧を四本入れる。杯からあふれそうに見える
ombár(十) 10(「そろった・欠けのない」の意味も帯びる) 切れ目のない閉じた輪(○)が一つ。両手の指がすべてそろった姿とされる。すぐ前に一〜九があれば、その数を掛ける(二・十=二十)。前に何もなければ十そのものを表す。十の輪が横に二つ並ぶ書き方はない
sénþar(百) 100 輪を二つ縦に積む(8 の字に近い形)。『十を十度』の姿。走り書きでは一筆でつなぎ、輪のあいだをくびれさせる
slúun(千・陸の千) 1000 輪を三つ縦に積む。雪だるまのように見える。走り書きでは、くびれを二つつけて一筆で書く。度量衡の碑では、この字の横に『千とは、十を十度、それを十度』と刻まれている
ombár slúunur(千の十) 10000 輪を四つ縦に積む。行の上下にはみ出すほど背が高く、トーテムの柱か、串に刺した団子のように見える。走り書きでは、くびれを三つつけて一筆で書く。前に一〜九を置いて掛ける(二・千の十=二万)。これより大きな位の字はない
ilánes rímba(灯の数え印) 星の司が星の書の中だけで使う数の印。外の者には読み方を明かさない 小さな点のまわりに、短い放射状の弧を一本から数本添えた、星の光の形の印。ふつうの数字とは似ても似つかない。星の書の外で見ることは、まずない
aldár(座の印) aldár 角を丸めた小さな三段の階段の上に、上へ開いた弧(座)をのせ、そのまた上に小さな点(北の星)を打つ。いつも行より高く書き、王の座名の前に置く。ふつうは aldár áuren(高き座)と読む。崩御から一年のあいだは、その王の座名の前にある印を、弧があってもなくても『お昇りになった座』と読み替える
gandér(森の司の印) gandér 円の中を、g の字の杭の線が上から下へ突き抜け、とがった先が円の下にはみ出す。丸太の木口に焼きつけられた黒い焼け跡で、三つ並ぶ焼印の左端に来る。帳簿では『硬木』の略字にも使う。字ではなく『しるし』とされる
báron(本の略字) báron b の字(魚の骨)を小さく書き、右上に小さな鉤をつける。帳簿と荷札で、数字のすぐ後ろに置く
丸囲み(品名の略字) 品名の頭の字を丸で囲み、その品の名前の略字にする。〈t〉の丸囲み=tambór(雑穀)など 品名の頭の字を一つ小さく書き、そのまわりを細い輪でぐるりと囲む。数字の十の輪と違い、輪の中に字が入っている。帳簿の品名の欄にずらりと並び、運び人もこの形だけは覚えている
kerélos šéna(谷のしるし) 硬木を伐った谷(氏族)を示す焼印。読み上げるものではなく、谷ごとに形が違う。kerél『谷』は重性名詞で、kerélos はその属格 焼印の真ん中に押す、獣の顔を簡略にしたしるし。狼の谷は ω の形に、とがった三角の耳を二つ立てたもの(u の字の親)。熊の谷は丸い頭に、小さな半円の耳が二つ(ネズミの顔のマークに似る)。山猫の谷は、とがった耳の先に短い房毛を一本ずつ立てたもの。文字より古い氏族のしるしから来ている
þrénos šéna(段のしるし・等級のしるし) 硬木の等級。弧のない輪が『下りぬ等級』(最上)で、輪の下の弧が一本増えるごとに一段下がる。身分の段と同じく『何段下りか』で言うので、段 þrén(重性)の属格をとって『段のしるし』と呼ぶ 焼印の右端に押す、小さな輪。その下に、数字と同じ細い弧を〇〜四本、つららのように下向きに刻む。輪の中を塗りつぶしたものは黒い芯、点を打ったものは赤い芯を示す。十の輪と一〜四の弧に似ているので、数字と読み違えやすい
fálas(鉤) 長母音の印。直前の母音字を長く読む 母音字の書き終わりから、右上へ小さく跳ね返る鉤。ひらがなの「し」の終わりの跳ねに似ている。約五百年より古い碑には見られず、そのころは同じ母音字を二つ並べて書いた
ilása(小灯点) ü の印。u または o の字の上に打つ 字の真上に、離して打つ小さな点。i の字の点(灯)を小さく写したもの。約五百年前、写字生が『ここは i に引かれて音が変わる』と書き添えた覚え書きが元になっている
nóus(止まり) 文の終わり 線の上に小さな点を打ち、そこから細い煙のような線が右上へ短く立ちのぼる。『言葉が昇っていった』跡とされる
láir(息継ぎ) 句の区切り。詩では十拍の句の切れ目に置く 右上から左下へ、細く短く引いた斜めの弧。日本語の読点を少し長くしたように見える
dáurun(念押しの括り) 字で綴った念押しの数を、前後から挟む。荷札と証文では、数字のすぐ下の行に括りごと書く
nasélen(息せぬ弧) 声に出して読まない名前の印。王の個人名、亡くなって一年たたないうちに書かれた死者の名前、喪の一年のあいだに書かれた王の座名にかぶせる。読み上げるときは、座・役職・『お昇りになった座』・昇名などの言い方に置きかえる 名前の上に低く細くかぶせる、長い平たい弧。屋根か、まぶたを閉じた目の線のように見える
dáloros(泥の線) 干潟語から借りた語や、干潟の人名・地名の印。この線のついた語には、高原の綴りの決まり(語末の読まない母音字など)を当てはめず、字のとおりに読む 語の下に引く、細かく波打つ線。下線のように見えるが、まっすぐではなく揺れている。縁商人の帳簿では、塩や紫の品質を表す語の下によく引かれる
orénos šéna(縁の添え) 縁商人どうしが私的に使う補助記号。高原の字では消えてしまう干潟語の音を書き分ける。正式な字ではないので、市の目付は証文から消す 泥の線の上にのせる小さな添え記号。干潟語の音を書き分ける添えが四種類あり、ほかに音節の高さを示す書き方がある。l の字の尾に短い斜めの切りこみを入れると ł。k の字の鈴の玉を小さな輪にすると q。字と字のあいだに縦の細い刻みを一本入れると声門閉鎖。e の字のしずくの中に点を一つ打つと ë。泥の線の揺れの山を一つだけ高くすると、その音節が高く発音されることを示す。高原の人の目には、ただの書き崩しかしみにしか見えない

2.6 正書法

2.6.1 強勢は書かない

強勢の位置は字に表れないので、強勢だけが違う語は同じ綴りになります。

綴り 読み1 読み2
〈aura〉 áura「昇る」(3人称単数・軽性) aurá「縁鷲」
〈lisau〉 lísau「二人が書く」 lisáu「二人で書け」

どちらなのかは文脈で決めるしかありません。

2.6.2 二重母音と母音の並びも書き分けない

母音字が二つ並んだとき、それが一音節の二重母音なのか、二つの音節に分かれた母音の並びなのかは、強勢と同じく字に表れません。〈teir〉は二重母音で一音節の téir「三」と読みますが、〈liseim〉は lis-é-im と三音節で読む liséim「私は書くだろう」です。字を見ても音節の切れ目はわかりません。

2.6.3 語末の読まない母音字

名詞と形容詞の主格(重性名詞では、主格と同じ形の対格も)で、次の条件がそろうと語末の母音字を読みません。

これは古い語末母音の脱落(→ 1.9.2)の名残です。綴りは脱落の前の形を残しています。

綴り 読み 意味
〈gandera〉 gandér 硬木
〈tamboro〉 tambór 雑穀
〈sluuna〉 slúun 千
〈aldara〉 aldár 座
〈duna〉 dún 丘
〈mona〉 món 石
〈kerela〉 kerél 谷
〈lisima〉 lisím 書法

2.6.4 動詞の語尾は読む

動詞の語尾の母音字は、2.6.3 と同じ条件に当たっても読みます。〈aura〉は áura と読み、áur とは読みません。〈dulo〉も dúlo です。名詞の規則を当てはめて áur と読むと、たまたまくだけた話し方の発音(→ 1.10)と同じになってしまいます。

2.6.5 例外:dálor

〈dalora〉は dálor「下の国」と読みます。dá-lo-ra では、強勢のある音節と語末の音節のあいだにもう一つ音節があるので、2.6.3 の条件には合いません。gandér・tambór のような重性名詞の多くにならい、類推で語末の母音を落とした例外です。属格は〈daloros〉=dáloros です。

2.6.6 例外:ilána と ombára

2.6.7 長母音と鉤

2.6.8 重性の複数語尾の o は u と読む

重性名詞と、重性に一致する分詞の複数語尾〈-ol〉〈-or〉〈-ols〉は、-ul・-ur・-uls と読みます。この o → u の変化(→ 1.8.1)も、語末母音の脱落と同じく綴りに表れていません。

綴り 読み
〈ganderol〉 gandérul
〈ganderor〉 gandérur
〈ganderols〉 gandéruls
〈dulenol〉 dúlenul

一方、双数の〈-ou〉(〈ganderou〉=gandérou)と属格の〈-os〉(〈ganderos〉=gandéros、〈þrenos〉=þrénos)は字のとおりに読みます。

2.6.9 ü は元の字に点を添えて書く

ウムラウトでできた ü(→ 1.9.1)は、元の u・o の字を書き換えず、その上に小灯点を打って示します。昔の *u と *o が同じ音に合流したので、どちらの字で書くかは語ごとに決まっています。この本の綴りの転写では〈u̇〉〈ȯ〉と書きます。

綴り 読み 意味
〈du̇ni〉 dǘn 丘々
〈mȯni〉 mǘn 石々

2.6.10 þ・š・ñ は一字

þ・š・ñ は、それぞれ一つの字で書きます。t+h、s+h、n+y の並びは別々の字の組み合わせになるので、まぎれません。

2.6.11 耳で聞き分けにくい区別を、字は書き分ける

日本語話者には聞き分けにくい次の音も(→ 1.12)、字ではそれぞれ別の字で書きます。

音 字
l と r 瀬の字(尾が上)と滝の字(尾が下)
b と v 魚の骨と二つの波
þ と s 下り階段と息の渦
s と š 息の渦とふくろう
語末の m と n 石と湖

耳では同じに聞こえやすい gandérul と gandérur も、〈ganderol〉と〈ganderor〉では語末の字が違います。文字は、耳よりも確かな手がかりになります。

2.6.12 ng と m の書き方

2.6.13 くだけた発音は書かない

くだけた話し方での語末母音の脱落(áura → áur、lísa → lís、ende → énd。→ 1.10)は、綴りには一切表しません。運び人の「リス」も、市の目付の「リーサ」も、どちらも〈lisa〉と書きます。

2.6.14 沈み綴り

崖道の商人や縁商人の帳簿には、読まない語末の母音字を省いた〈gander〉〈tambor〉のような綴りがまじります。都の人はこれを「沈み綴り」と呼んで卑しみます。証文にこの綴りがあると、市の目付が〈gandera〉に直してから印を押します。

2.6.15 接頭辞と前置詞はつなげて書く

2.6.16 昇り結びは尊敬の接頭辞だけ

2.7 区切りの印

2.7.1 te と té の書き分け

関係節の小辞 te(強勢なし)と指示詞 té「あの」(強勢あり)は、文字では同じ字になります。話し言葉では、té の強勢とそのあとの切れ目で区別できます(→ 1.6.3)。書き言葉では次のように区別します。

lisáran té, séna senár.

読み:リサーラン テー、セーナ セナール。

lis-ár-anté,sén-asenár.
書く-<〜する人>-<対格>あの<軽性>見る-<(軽いものが)>目付<主格>

「あの書記をこそ、目付が見る。」

関係節については第7章で扱います。

2.8 上げ書きと息せぬ弧

2.8.1 上げ書き

次の語は、行より半字ほど高い位置に書きます。

áura「昇る」や aurá「縁鷲」のように、尊敬の接頭辞でない au で始まる語は上げ書きしません。王の座名と座の印(aldár)は、かならず新しい行の頭から、とくに高く書き出します。荷札の送り主が高い家なら、その名も上げ書きにします。字そのものは変わらないので、上げ書きを知らない人には、ところどころ語が浮き上がった誤植のように見えます。

2.8.2 息せぬ弧

王の個人名は、書くときにかならず上に息せぬ弧(nasélen)をかぶせます。死者の名前も、亡くなってから一年のあいだに新しく書く記録では弧をかぶせます。読む人は、その名前を「高き座」や役職、昇名などの言い方に置きかえて読みます。弧を見落として名前をそのまま読み上げるのは、ひどい失言になります。

2.8.3 すでに書かれたものに弧を足さない

書かれたものは書き直さない、という原則があるので、生前に書かれた記録の名前に、亡くなったあとから弧を書き足すことはしません。禁忌は名前そのものにかかるもので、弧は読む人を助ける目印にすぎません。だから弧がなくても、亡くなって一年たたない人の名前は声に出してはいけません。系譜読みや書記は、最近亡くなった人の名前を覚えておき、古い記録を読み上げるときは自分で言い換えます。一年が過ぎたあとは、生前の名前のかわりに昇名を、高める語形を添えて読みます。

2.8.4 喪の一年の座名

王が崩御してからの一年、年代記は座名をそのまま書き続けますが、書記はその座名に息せぬ弧をかぶせます。この一年のあいだは、崩御より前に書かれた弧のない座名も含めて、その王の座名はすべて、座の印とあわせて「お昇りになった座」と読み替えます。座の印をいつも aldár áuren と読む規則は、このときだけ外れます。一年が過ぎても過去の記事は書き直さないので、弧はそのまま残ります。喪の年を過ぎてから古い記事を声に出して読むときは、弧があってもなくても、王統の巻で照らし合わせた昇名に置きかえて読むのが作法です。

2.9 数字

2.9.1 字の形

数字は十進法で、掛け算と足し算を組み合わせて書きます。1〜9 の字と、十・百・千・千の十の位の字があります。〇の字はありません。

数 字の形
1〜4 立てた細い弧を一本から四本並べる
5 上へ開いた杯の形
6〜9 杯の中に弧を一本から四本入れる
十 閉じた輪一つ(欠けのない、そろった数)
百 輪を二つ縦に積む
千 輪を三つ縦に積む
千の十(一万) 輪を四つ縦に積む

位の字は閉じた輪で、縦に積んだ輪の数が位を表します。「千とは、十を十度、それを十度」という念押しの句は、千の字の形(三段に積んだ輪)をそのまま言葉にしたものです。

2.9.2 読み方の決まり

書き方 数
百・八・十・二 182(八は直後の十に掛かって八十、二は後ろに位がないので足される)
百・八 108
二・十・三 23
千・七・百・二・十・八 1728(泥の千)
二・千の十・三・千 23000

千の十より大きな数は数字では書かず、字で綴ります。帳簿にはまず出てきません。

2.9.3 輪の見分け方

2.9.4 念押し

弧を一本書き足すだけで、二が三になるように数が変わってしまいます。そのため帳簿や証文では、同じ数を字でも綴って添えます(例:〈sluuna〉)。大きな数には「十を十度、それを十度」式の言い換えも添えます。

2.9.5 十の灯と星の数

2.10 焼印

硬木に字を彫ってはいけません。丸太の木口には、次の三つのしるしを焼印で左から並べて押します。どれも「字ではなく、しるし」とされ、読み上げるものではありません。

位置 しるし 形
左端 森の司の印 円を g の字の杭の線が突き抜ける形
真ん中 谷のしるし(kerélos šéna) 伐った谷の氏族のしるしを簡略にした、狼・熊・山猫などの獣の顔
右端 等級のしるし(þrénos šéna「段のしるし」) 小さな輪の下に、数字と同じ弧を刻む

2.11 干潟語を書くとき

2.11.1 置き換えと泥の線

干潟語からの借用語(塩・紫・潮の語、sélu「泥の千」など)や、干潟の人名・地名は、高原の字に置き換えて書き、下に泥の線(dáloros)を引きます。dáloros は重性名詞 dálor「下の国」の属格で、「下の国の(線)」という意味です。

置き換え方は次のとおりです(→ 1.11.1)。

干潟語の音 書く字
ł l の字
q k の字
ë e の字
声門閉鎖 書かない
高低アクセント 書かない

そのため、干潟語で別々の音が、高原の字では同じになることがあります。都の綴りでは、干潟の sëlu も高原の人が言う sélu も、同じ〈selu〉になります。

2.11.2 泥の線のついた語は字のとおりに読む

泥の線のついた語には、古い脱落の規則(→ 2.6.3)を当てはめません。語末が o の干潟の名を、条件どおりに語末の o を落として読んではいけません。〈selu〉も sélu と読みます。泥の線は「この語は高原の綴りの決まりの外にある」という合図でもあります。

2.11.3 縁の添え

縁商人は仲間内で、縁の添え(orénos šéna)という小さな補助記号をこっそり使い、消えた区別を書き分けます(形は 2.5 の表を参照)。ただし市の目付はこれを正式な字と認めないので、証文に書くと消されます。

2.12 書体

2.12.1 碑の書体

lisái kéumos「碑の字」。石と青銅に刻む書体です。字を離して書き、角が丸く太い字です。約五百年より古い碑には小灯点も鉤もなく、長母音は字を二つ並べて刻みます。

2.12.2 都の書体

þailfírna「澄みの筆」。筆で書く書体で、軒の雨水ですった墨で、白い樹皮の紙に書きます。つなぎの線が細く、尾が長くなびきます。手紙・詩・年代記に使います。

瀬を引く:書き手はまず、これから文を乗せる線を、右(下手)から左へ一筆で引きます。これを「瀬を引く」(fílim lóur「私は瀬を引く」。fíl-「(線を)引く」)といい、引いた線は lóur fílen「引かれた瀬」と呼びます。線は左端(上手、流れの源)で巻き上がり、そのまま最初の字の書き始めへ入ります。

2.12.3 版の書体

fírna pandés「版木の書きぶり」。版の木に彫って刷る書体です。都の書体を少し硬くした字で、詩集・暦・法典に使います。

2.12.4 帳簿の走り書き

商人の書体です。

2.12.5 広まりと呼び名

2.12.6 古い碑の読み方

北の高みの碑と降ろし場の碑は、字形が絵に近く、字を一つずつ離して刻んでいます。小灯点も鉤もなく、長母音は字を二つ並べて刻むので、二重母音とも見分けにくくなっています。そのうえ古高原語の語形がまじるので、都の書体しか知らない書記でも、すらすらとは読めません。

2.13 用途と識字

2.13.1 用途

書き手・場 書くもの
書の司 年代記、法典、王統の巻
星の司 暦、星の書
系譜 系譜の巻
宮廷 詩集、手紙
商人 帳簿・証文・荷札
碑文 北の高みの納骨所の碑、降ろし場の碑、王の丘の統一の碑、度量衡の碑
鋳物 青銅器の銘

2.13.2 識字

都では、字が書けることは「言葉を留めておける」ことであり、軽さ(上に近いこと)の証とされます。

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