小説
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崖の麓の市の入り口には、灰色の石の碑が立っています。秤と分銅の決まり、霧が来る前に精算をすませること、崖から物を落とさないこと。こうした市の決まりが、短くて硬い文で刻まれています。
この課では、碑文や法典で使う**「〜すべし」「〜せぬこと」の形(当為法)**を学びます。これで碑の一句 mé duliþésa fáron es orénos.「縁から荷を落とさぬこと」が読めるようになります。
あわせて次の二つを学びます。
dúl-「下る」から dulíþ-「下ろす」を作るような、「〜させる」の形 -íþ-ré崖の上の国では、高さがすべての基準です。そこで「下ろす」「上げる」「呼び寄せる」は、とくに大事な動詞になります。
| ré | [ˈre] | 〜と | 「〜と(言う・知る)」「〜するように」。後ろに動詞で始まる文をそのまま続けます。強勢はありません。 |
| sárvo | [ˈsarvo] | 禁忌 | 禁忌。崖から物を落とす、星を指さす、といった「してはならないこと」。 |
| férmal | [ˈfermal] | 法 | 法。書かれた決まり。法典の文はほとんどが当為法です。 |
| tróval | [ˈtroval] | 作法 | 作法。決められた手順。降ろし場で硬木を下ろすのも、この作法に従うときだけ許されます。 |
| þúnd- | [ˈθund] | 裁く | 裁く。市の目付は碑の前で揉め事を裁きます。 |
| brúum- | [ˈbruum] | 落ちる | 落ちる(自動詞)。手からすべって落ちるような、意図しない落下。人が意図して「落とす・下ろす」なら dulíþ- を使います。 |
| þráun- | [ˈθraun] | 投げる | 投げる。崖から物を投げるのは禁忌です。 |
| fúnel | [ˈfunel] | 綱 | 綱。硬木を崖の下へ吊り下ろす太い綱も、この語で言います。 |
| lamér- | [laˈmer] | 掌を差し上げる | 掌を差し上げる。星を指さす代わりに、手のひらを上に向けて差し上げる仕草です。 |
| vrín- | [ˈvrin] | またぐ | またぐ。人をまたぐのは、その人の上に立つことになるので禁忌です。 |
| krámbo | [ˈkrambo] | 崖山羊 | 崖山羊。崖道の運び人の守り神です。重性の名詞です。 |
| hál- | [ˈhal] | 呼ぶ | 呼ぶ(声をかける)。「来させる」と言うなら toríþ-「呼び寄せる」を使います。 |
規則:法典・碑文・儀式の詞では、「〜すべし」「〜するものとする」という形を使います。これを当為法と呼びます。作り方は、語根と人称の語尾のあいだに -és- を入れるだけです。
この形は3人称にしかありません。「私は〜すべし」「お前は〜すべし」とは言いません。決まりは、いつも人や物について外から定めるものだからです。
書く lís- |
量る vánd- |
下る dúl- |
|
|---|---|---|---|
| 3人称単数・軽 | lisésa |
vandésa |
dulésa |
| 3人称単数・重 | liséso |
vandéso |
duléso |
| 双数 | lisésau |
vandésau |
dulésau |
| 3人称複数 | lisésan |
vandésan |
dulésan |
例
vandésa senár fáron.「目付は荷を量るべし」duléso gandér du dálor.「硬木は下の国へ下りるべし」(硬木は重性なので -o)主語を言わないときは、「人は〜すべし」という、誰にでも当てはまる決まりになります。人は軽性なので、形は軽性の -ésa を使います。
lisésa sáindaran an nébroi.「霧の前に証文を書くべし」注意
-énd- や推量の形 -él- と同じく、強勢は -és- に移ります(lísa → lisésa)。語根の ´ は消えます。規則:「〜せぬこと」「〜してはならない」は、当為法の動詞の直前に mé を置いて作ります。mé は、人に働きかける形(命令・願い・当為)の否定です。na は使いません。
例
mé duliþésa fáron es orénos.「縁から荷を落とさぬこと」(度量衡の碑の一句)mé omberésa ilánais.「星を指ささぬこと」mé lisésa sáindaran du nébroi.「霧のあとに証文を書かぬこと」(du nébroi「霧の下手で」=霧のあとで)mé を使う三つの禁止を比べてみましょう。
| 形 | 例 | 誰に向けるか |
|---|---|---|
mé +命令 |
mé vír!「言うな」 |
目の前の目下の相手に |
mé +願い |
mé virénde…「言いませぬように」 |
目上や同輩に、やわらかく(願いの形そのものは敬語ではなく、目上には3人称や敬語の形と組み合わせる) |
mé +当為 |
mé virésa…「言わぬこと」 |
誰にでも。碑・法典・詞の禁止 |
注意:当為法の禁止は、特定の誰かに向けた言葉ではありません。そのため、身分の上下に関係なく使えます。碑の前では、王の使いも運び人も同じ一句に従います。
規則:自動詞(目的語をとらない動詞)の語根に -íþ- をつけると、「〜させる」という他動詞になります。
| もとの動詞 | -íþ- をつけた形 |
意味 |
|---|---|---|
dúl-「下る」 |
dulíþ- |
下ろす・落とす(下らせる) |
áur-「昇る」 |
auríþ- |
上げる(昇らせる) |
tór-「来る」 |
toríþ- |
呼び寄せる・招く(来させる) |
ráin-「知る」 |
rainíþ- |
教える(知らせる) |
第14課で覚えた rainíþ-「教える」も、実はこの形でした。
強勢の位置:-íþ- の後ろに強勢をもつ接辞がなければ、-íþ- が強勢をとります。後ろに -és-・-énd-・-él- が来ると、強勢はそちらへ移ります。
| 形 | 例 |
|---|---|
| 言い切り | dulíþa「下ろす」、dulíþim「私は下ろす」 |
| 当為 | duliþésa「下ろすべし」 |
| 願い | duliþénde「下ろしますように」 |
| 命令(一人へ) | dulís!「下ろせ」 |
命令形の注意:語末に þ は置けないので、一人への命令では þ が s に変わります(dulís!、aurís!「上げろ」、torís!「呼んでこい」)。
例
dulíþa faronár fáron du dálor.「運び人が荷を下の国へ下ろす」auríþan faronárai fáron an orén.「運び人たちが荷を縁の上へ上げる」注意:
dúl- と dulíþ- の違い:dúlo fáron「荷が下りていく」と dulíþa faronár fáron「運び人が荷を下ろす」です。動詞の語尾は、どちらの文でも主語に合わせます。brúum- と dulíþ- の違い:brúum- は手からすべって「落ちる」ことです。人がわざと「落とす」なら dulíþ- を使います。auríþen「かたじけない」は、auríþ-「上げる」の分詞「上げられた」です。「(あなたのおかげで私は)上げていただいた」という意味から来ています。規則:「〜と言う」「〜と知る」「〜と教える」は、動詞の後ろに ré を置き、続けて動詞で始まる文をそのまま入れます。
主節の動詞 + 主語 +(相手)+ ré + 動詞で始まる文
例
selvéna ausenár ré mé duliþésa fáron es orénos.「目付殿は『縁から荷を落とさぬこと』とおっしゃる」rainíþa ólmar endríñei ré mé omberésa ilánais.「年長者は子どもに『星を指ささぬこと』と教える」vírim ré duléso gandér du dálor.「私は『硬木は下の国へ下りるべし』と言う」注意
ré の後ろの文は、もとの文の法のままです。碑の当為法の一句なら当為法のまま、ふつうの言い切りなら言い切りのまま入れます。日本語の「〜と」の前の文と同じ感覚です。víra faronár ré gélim du orén.「運び人は、自分が縁へ行くと言った」)、知る・思うの中身や目的(ré+願い)なら、いま話している人から見た形で言います(þílim ré tóra él dórel.「彼が明日来ることを、私は知っている」)。ré には強勢がなく、次の動詞に寄りかかって発音されます。強勢のある té「あの」と取り違えないようにしましょう。ré をとるよく使う動詞:vír-「言う」、selvén-「おっしゃる」、léun-「申す」、ráin-「知る」、rainíþ-「教える」、nóur-「思う」、povér-「問う」規則:ré の後ろの文を願いの形 -énd- にすると、「〜するように」「〜できるよう」という目的を表します。ここでの願いの形は、丁寧さを表すのではありません。「そうなってほしいこと」を表しています。
| 文 | 意味 |
|---|---|
lísim sáindaran ré vandénde senár fáron. |
目付が荷を量れるよう、私は証文を書く |
léimim kéiran ré lisénde lisár plánan. |
書記が帳簿を書けるよう、私は蝋燭を置く |
比べてみましょう
vírim ré vánda senár fáron.「私は『目付は荷を量る』と言う」(言い切り=言った内容)lísim sáindaran ré vandénde senár fáron.「目付が荷を量るように、私は証文を書く」(願い=目的)注意:3人称単数・軽性の願いの形は -énde です(-énda にはなりません)。重性の主語なら -éndo です(ré dulénde gandérではなく ré duléndo gandér「硬木が下りるように」)。
mé duliþésa fáron es orénos.
読み:メー ドゥリセーサ ファーロン エス オレーノス。
| mé | dul-iþ-és-a | fáron | es | orén-os. |
| <禁止・願いの打ち消し> | 下る-<〜させる>-<〜すべし>-<(軽いものが)> | 荷<対格> | から | 縁-<属格> |
「縁から荷を落とさぬこと。」
度量衡の碑の一句。主語を言わないので「人は」が主語になり、軽性の -a をとる。強勢は -és- に移る。
mé lisésa sáindaran du nébroi.
読み:メー リセーサ サインダラン ドゥ ネーブロイ。
| mé | lis-és-a | sáindar-an | du | nébr-oi. |
| <禁止・願いの打ち消し> | 書く-<〜すべし>-<(軽いものが)> | 証文-<対格> | 下手 | 霧-<与格> |
「霧のあとに証文を書かぬこと。」
du + 与格は、時の名詞では「〜のあとに」。霧の中で結んだ約束は重んじられない。
duléso gandér du dálor.
読み:ドゥレーソ ガンデール ドゥ ダーロル。
| dul-és-o | gandér | du | dálor. |
| 下る-<〜すべし>-<(重いものが)> | 硬木<主格> | 下手 | 下の国<対格> |
「硬木は下の国へ下りるべし。」
重性の主語なので、当為法でも語尾は -o。硬木を崖の下へ売ることを正当化する、森の司の教えの言い方。
dulíþa faronár fáron du dálor.
読み:ドゥリーサ ファロナール ファーロン ドゥ ダーロル。
| dul-íþ-a | faronár | fáron | du | dálor. |
| 下る-<〜させる>-<(軽いものが)> | 運び人<主格> | 荷<対格> | 下手 | 下の国<対格> |
「運び人が荷を下の国へ下ろす。」
dúl-「下る」に -íþ- をつけて他動詞にした形。主語の運び人が軽性なので -a。
auríþan faronárai fáron an orén.
読み:アウリーサン ファロナーライ ファーロン アン オレーン。
| aur-íþ-an | faronár-ai | fáron | an | orén. |
| 昇る-<〜させる>-<彼らが> | 運び人-<〜たちが> | 荷<対格> | 上手 | 縁<対格> |
「運び人たちが荷を縁の上へ上げる。」
áur-「昇る」→ auríþ-「上げる」。崖の下から上がってくる荷は aurfáron「上げ荷」。
brúumo fáron es orénos.
読み:ブルーモ ファーロン エス オレーノス。
| brúum-o | fáron | es | orén-os. |
| 落ちる-<(重いものが)> | 荷<主格> | から | 縁-<属格> |
「荷が縁から落ちる。」
brúum- は意図しない「落ちる」。人がわざと落とすなら dulíþ-。
selvéna ausenár ré mé duliþésa fáron es orénos.
読み:セルヴェーナ アウセナール レー メー ドゥリセーサ ファーロン エス オレーノス。
| selvén-a | au-senár | ré | mé | dul-iþ-és-a | fáron | es | orén-os. |
| おっしゃる-<(軽いものが)> | <お〜になる・御〜>-目付<主格> | <〜と(節)> | <禁止・願いの打ち消し> | 下る-<〜させる>-<〜すべし>-<(軽いものが)> | 荷<対格> | から | 縁-<属格> |
「目付殿は「縁から荷を落とさぬこと」とおっしゃる。」
ré の後ろに、碑の一句を当為法のまま入れている。目付が碑の前で揉め事を裁くときの言い方。
rainíþa ólmar endríñei ré mé omberésa ilánais.
読み:ライニーサ オルマル エンドリーニェイ レー メー オンベレーサ イラーナイス。
| rain-íþ-a | ólmar | endríñ-ei | ré | mé | omber-és-a | ilán-ais. |
| 知る-<〜させる>-<(軽いものが)> | 年長者<主格> | 子ども-<与格> | <〜と(節)> | <禁止・願いの打ち消し> | 指さす-<〜すべし>-<(軽いものが)> | 灯-<〜たちを> |
「年長者は子どもに「星を指ささぬこと」と教える。」
rainíþ-「教える」は ráin-「知る」の使役形。教える相手は与格で言う。星は複数の ilánais で総称する。
lísim sáindaran ré vandénde senár fáron.
読み:リーシン サインダラン レー ヴァンデンデ セナール ファーロン。
| lís-im | sáindar-an | ré | vand-énd-e | senár | fáron. |
| 書く-<私が> | 証文-<対格> | <〜と(節)> | 量る-<〜しますように>-<(軽いものが)> | 目付<主格> | 荷<対格> |
「目付が荷を量れるよう、私は証文を書く。」
ré + 願いの形で目的を表す。ここでの願いの形は丁寧さではない。
toríþa houmár torárais.
読み:トリーサ ホウマール トラーライス。
| tor-íþ-a | houmár | torár-ais. |
| 来る-<〜させる>-<(軽いものが)> | 家の主<主格> | 客-<〜たちを> |
「家の主が客たちを招く。」
tór-「来る」→ toríþ-「呼び寄せる・招く」。toríþ- dálor「下の国を呼び寄せる」と言えば、崖の禁忌を破る行いを指す。
次の日本語を、碑文の形(主語を言わない当為法)で高原語にしてください。
þráun-)mé omberésa ilánais.mé þraunésa fáron es orénos.lisésa sáindaran an nébroi.解説:主語を言わないときは「人は〜すべし」の意味になり、軽性の -ésa を使います。禁止には na ではなく mé を使います。an nébroi「霧の上手で」は、時の名詞では「霧の前に」の意味になります。
-íþ- を使って、次の形を作ってください。
áur-「昇る」→「彼が(荷を)上げる」(3人称単数・軽、言い切り)tór-「来る」→「呼び寄せるべし」(3人称単数・軽、当為)dúl-「下る」→「(一人に向かって)下ろせ!」áur-「昇る」→「(一人に向かって)上げろ!」auríþatoriþésa(強勢は -és- に移る)dulís!aurís!解説:一人への命令は語幹そのままの形ですが、語末に þ は置けないので s に変わります。
空欄に dúlo「下りていく」か dulíþa「下ろす」のどちらかを入れてください。
dulíþa:主語の運び人(軽性)が、荷を下ろします。目的語があるので使役形にします。dúlo:主語の硬木(重性)が自分で下りていきます。目的語がないので、もとの自動詞のままです。次の高原語を日本語に訳してください。
vírim ré duléso gandér du dálor.selvéna ausenár ré vandésa senár fáron an nébroi.léimim kéiran ré lisénde lisár plánan.解説:ré の後ろの文は、もとの形を保ちます。1・2は当為法をそのまま引いた「〜と」の文、3は願いの形を使った目的の文です。
発音の問題です。次の語の、強勢のある音節を答えてください。
dulíþa「下ろす」duliþésa「下ろすべし」auríþen「かたじけない」vandénde「量るように」-és- に移り、-íþ- の強勢は消える)auríþ-「上げる」の分詞。-en は強勢をとらない)解説:強勢をもつ接辞が二つあるときは、後ろの接辞が強勢をとります。日本語話者は強勢を「高い音」として聞きがちですが、高原語の強勢は、強く、少し長く発音するものです。
この言語が話されている高原では、崖道の下の口に、統一のすぐ後に建てられた灰色の石の碑が立っています。度量衡の碑です。刻まれているのは、次のような決まりです。
mé duliþésa fáron es orénos.「縁から荷を落とさぬこと」どれも、この課で学んだ当為法の短い文です。市で揉め事が起こると、市の目付がこの碑の前で裁きます(þúnd-)。商人たちは言い争いをやめるとき、「秤に問え」と言います。「秤」は vándo といい、vánd-「量る」から来た古い語です。
高原の人々にとって、崖の下は重いものが最後に沈んでいく「下の国」です。崖の縁から物を投げ落とす(þráun-)ことは、ただ危ないだけでなく、下の国を中の世界へ呼び寄せる(toríþ- dálor)行いだと考えられています。崖から唾を吐くことも、同じ理由でとくに嫌われます。荷が手からすべって落ちる(brúum-)のさえ、凶事のしるしとして扱われます。
ただし、物を下ろすことが許される場所が一つだけあります。縁の肩の降ろし場です。「降ろし場」は duliþándo といいます。この課の dulíþ-「下ろす」に、「〜する所」を表す -ándo がついた語です。ここでは、決められた作法(tróval)と詞に従って、太い綱(fúnel)で硬木を崖の下へ吊り下ろします。「落とす」と「下ろす」は、高原語ではどちらも dulíþ- です。それが禁忌になるか務めになるかは、作法に従っているかどうかで決まります。
lamér-)。vrín-):またぐと、その人の上に立つことになるからです。崖道の運び人は、足場のない崖を渡る崖山羊(krámbo)を守り神にしています。崖山羊は、上でも下でもない「崖の者」です。荷を担いで碑の前を通るとき、運び人たちは決まって碑の一句を口ずさみます。むき出しの語幹で話す市の言葉の中で、この一句だけは、碑に刻まれた当為法の形のまま唱えられています。
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